飛鳥里山クラブ30周年記念誌
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、気分転換のため鎌倉に寄ることにしました。鎌倉の一つ手前の北鎌倉駅で降りました。北鎌倉は「あじさい寺」で著名な明月院などがあり鎌倉駅前ほど喧噪化していないことが幸いです。、今も飛鳥との関わりの原点として思い出すのはこのことです。、、、私と飛鳥との出逢い私が飛鳥里山クラブ14期生として入ったのは平成20年4月10日に35名で開講式を迎えました。当時は第二の青春時代を迎えたような気分でした。深い思い出は平成23年に「竹の家」を作ったことでした。私が描いた図面で16期生の人たちで組み立てられました。また、里山つくり活動として平成23年2月炭焼きの総括として責任を持って体験したことでした。先輩諸氏からいろいろと指導を受けました。2月20日火入れを行い、21日・22日と3日間にわたり、火の燃え具合と煙の色と煙突の乾き具合を観察しました。炭焼きは夜中から早朝にかけて観察したこともありました。私が飛鳥と関りを持ったのは、もう40数年も前のことでしょうか。それは明日香村で観光絵地図を作った時のことでした。20代の終わりごろ東京への出張の帰り古い町並みを眺めていると、土産物屋の軒先に新聞紙大のイラスト付きの観光絵地図が掲示され一枚100円で販売されていました。このとき、今、高松塚古墳の発見で注目され国蝶オオムラサキの飼育は、甘樫丘における「生物多様性の創出をテーマ」に平成27年(2015年)から始めました。生き物を飼うことの難しさをひしひしと感じさせられました。幼稚園児の放蝶会では園児の喜んでくれるのが楽しみです。歴史サークルでは「歴史を学び・歴史を知る・歴史を伝える」活動を続けてきたがこれからも飛鳥時代の歴史を伝えていきたい。ている飛鳥でも同様の観光絵地図のニーズがあるのではないか。一枚買って検討してみようと考えました。帰って、早速、進取の気性に富む友人に持ちかけたところ、それは面白いとなり意見が一致したことで、早速、飛鳥の実地踏査をしました。制作期間約1カ月、完成した絵地図は明日香村内の土産物店や茶店などに置いてもらいました。結果、順調に売れ、直ぐに印刷費を賄うことができました。当時、私も友人も本業の仕事があり、ほんの軽いノリでやったこともあり、印刷費が出ればやめると決めていたので早々に手じまいとなりました。この間僅か100日程度の出来事ですが竹の家H23.9.2214期松本義夫25期武田富久行飛鳥里山クラブへの思い

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