、、。小学生を飛鳥に連れて行ってくれた近在の篤志家先生がおられたことに始まります。そのうち自転車に乗り1―2時間かけてふらっと一人で石舞台へ。これらのきっかけで歴史に興味を持ち、小学生の時は社会の教科書を何度も読み、中学生に上がる頃には社会だけが得意な子どもになっていました。私と飛鳥のつながり26期池原狭丘期Y.Nやっと飛鳥へたどり着く28私と飛鳥のつながりは小学生頃です当然、社会のS先生もとても好きになりましたが、この先生の授業は私には非常に面白かったのですが、おしゃべり自由、先生も怒りません。ところが同じクラスに社会がすごい同級生がおり、一生懸命勉強しました。やがて将来の進路を決める段になると「考古、学なんて目指したら、飯が食えないよ。東大とか京大を卒業しなけりゃだめだよ」と言われ続けたため、平凡に高校・大学と進みやがて就職しました。退職後のことを考え始めたころ、少年育ったところは田舎の街中。身近に田んぼや小川はなく、山も普段は見えません、冬の晴れた日なら赤城山や富士山がはる~か遠くに見えます。朝の通勤は2時間、満員電車に詰め込まれもしていたところ、転機が訪れました。奈良への引っ越し。山が近いし、雪が降ると白くなった山肌に木々が映える、その景色に感動しました。田んぼも近く、飛鳥周辺では見事なれんげ畑もあって、身近な緑に安らぎを覚えました。の頃夢見た考古学の真似事が出来ないかと思うなか、目に留まったのが、飛鳥里山でした。コロナ禍で研修は休み休み…。いつになったらとイライラしていた頃、やっとお呼びがかかり、研修に行くと、参加人数も少なく「こんなんで大丈夫かいな?」と懐疑的な考えに陥りました。研修後、各サークルに参加しているうちに、歴史やら、野外?野鳥??「なんとこんなに人がおるんかいな!」という思いで感心しました。ラッキーか?アンラッキーなのか、公園事務の手違いで文化にまで入ってしまいました。しかしいずれのサークルともすごいメンバーがいることを知り、もう少し頑張ってみようかなという気持ちになってきました。やがて、副会長などという順番に近い依頼を受け、仕方なく受けてしまいました。今は辞めた後、少し各サークルを理解し、かつての少年の熱い志に少しでも到達しようかと思う気持ちでいっぱいです。最後に一句青梅の語りし飛鳥の歴史かな里山保全に大いに関心を持つようになり、やっと数年前その活動に加わりました。チェーンソーの免許も取りましたが、山は急斜面で伐木は危険な作業、ただただベテランさんを尊敬しています。飛鳥「里山」クラブに入会してみたら!数年後に思いを馳せながら在来・自然の庭育てに汗を流し、花々の観察、野鳥観察もできて興味は尽きません。導いてくださる諸先輩、一緒に楽しめる仲間。たどり着いたばかりの「今、ここ」に感謝です。
元のページ ../index.html#76