50th背景

国営飛鳥歴史公園
開園50周年!

わが国古代の政治と文化の中心として栄えた「飛鳥」。
高度経済成長期の昭和40年代はじめ、この地にも開発の波が押し寄せました。
開発か保存か…村民の議論が深まる中、御井敬三氏の「声の直訴状」により飛鳥保存が大きく動き出し、その流れのひとつとして昭和46年に「国営飛鳥歴史公園」の整備が始まり、昭和49年に最初の地区が開園しました。
それから50年。
飛鳥の歴史的風土を保存し活用を図る上で拠点となる地域について、その歴史的蓄積や植生などを考慮し、周辺と調和した景観となるよう整備を進めてきました。
公園にはフェンスもなければ大きな看板もありません。
「飛鳥を楽しむこと」と「公園を楽しむこと」が一体となっている。
それが飛鳥の風景を守る一員の、我々、飛鳥歴史公園なのです。

飛鳥とともに50年。
これからも地域の人々と一緒に、「日本人の心のふるさと 飛鳥」を後世の人々に守り伝えていきます。

ポスター

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国営飛鳥歴史公園事務所長挨拶


国営飛鳥歴史公園の位置する奈良県高市郡明日香村は、かつて我が国の本格的な律令体制が形成された時代の政治・文化の中心的な地域であるとともに、万葉集にうたわれた当時を偲ばせる景観が守られており、四季を通じて多くの方々が訪れています。
国営飛鳥歴史公園は、この飛鳥の豊かな自然景観の保全と歴史的・文化的遣産の保存と活用をはかることを目的に、昭和45年12月に歴史的風土審議会の答申を受けた閣議決定「飛鳥地方における歴史的風土及び文化財の保存等に関する方策について」に基づき整備が開始され、この度、昭和49年の祝戸地区開園から50周年を迎えました。
この間、50年の歴史を築かれました先輩諸氏のご努力ならびに当公園事業の推進に多大なるご支援を賜りました関係各位、来園いただいたみなさまに心から感謝いたします。
現在、奈良県・橿原市・桜井市および明日香村の連携による飛鳥・藤原の世界遺産登録を目指す取り組みが進められており、今後公園を取り巻く社会環境は大きく変化していくことが予想されます。
職員一同、この度の開園50周年を1つの区切りとはしながらも、このような変化に対応した公園づくりに向けこれまで以上に鋭意努力して参る所存であり、みなさまには今後とも一層のご理解とご協力のほどをお願いして、あいさつといたします。


国営飛鳥歴史公園事務所長 栁澤 秋介

飛鳥公園事務所長 栁澤 秋介

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明日香村長祝辞

国営飛鳥歴史公園が開園50周年を迎えられましたことに、心よりお慶び申し上げます。
飛鳥地域は、6世紀末から約100年間、政治や文化の中心であり、日本の現代国家体制の原型が形成された場所と言われています。この地域で積極的に国際交流が行われたことの証であり、飛鳥保存の機運をさらに高めるきっかけとなった国宝高松塚古墳壁画など、約1300年前から1400年前の貴重な文化財が国営公園内にあります。
昭和49年から順次整備され、現在59.9haとなった国営飛鳥歴史公園は、「文化財と周囲の環境とが一体をなした良好な景観」=「歴史的風土」の保全に対して、大きな役割を果たしていただいています。加えて、訪れる人に「公園」と「飛鳥」を一体に感じていただけるよう柵などを設けない整備が行われていることや、地域と公園との間で垣根のない連携をとって運営していただいていることに、心から敬意を表し、深く感謝申し上げます。
明日香村は、国営飛鳥歴史公園と一体となって、これまで守られてきた歴史的風土を活用し、後世に伝えていくための「明日香まるごと博物館づくり」を進めていきたいと望んでいます。
結びになりますが、これまで以上に、本地域の歴史的風土の保全とその意義を広く伝えていただく役割を期待しますとともに、国営飛鳥歴史公園が多くの皆様から末永く愛される公園となりますようご祈念申し上げます。


明日香村長 森川 裕一

明日香村長 森川 裕一

国営飛鳥歴史公園のはじまり(飛鳥保存の歩み)

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「飛鳥を守り、残したい」
先人たちの想いを、今もこれからも

飛鳥の歴史風土は、1300年以上もの時の流れとともに、今もこの地に息づいています。その背景には、この地を守りたいという村民の熱い思いがありました。
昭和40年代はじめ、時は折しも高度経済成長期。全国各地で宅地開発の波が押し寄せる中、京都や奈良、鎌倉といった古都の歴史的風土を開発の波から守るため、昭和41(1966)年に「古都法」(古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)が公布され、ここ明日香村も「古都」の一つとして指定されました。
当時の飛鳥地域は、従来の主要産業である農林業が後継者不足などの苦況に立たされていました。都市化を受け入れると経済は潤います。しかし部分的に「古都法」による保存対象となっているにも関わらず、その周囲が無秩序に開発されてしまっては、飛鳥らしい景観が失われてしまいます。開発か保存か・・・村民が核となり議論が深められていく中で、飛鳥に魅せられこの地に移り住んだ一人の漢方医 御井敬三氏の「飛鳥を美しい姿で残し、次世代に伝えていきたい」という「声の直訴状」が当時の首相 佐藤栄作氏のもとに届けられたことで、飛鳥保存に向けての取り組みが大きく動き出しました。
昭和45(1970)年、「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策について」が閣議決定され、「国営飛鳥歴史公園」の整備が始まりました。整備は、祝戸、石舞台、甘樫丘の3地区から行われ、その最中にも、高松塚古墳壁画など重要な遺跡が次々と発見されるなどし、保存区域は拡張していきました。
これらの保存区域拡張の動きに対応し、歴史的風土を保存するだけでなく、そこで暮らす住民が開発の制限を許容しながらも生活の質の維持向上ができるように生まれたのが、昭和55(1980)年の「明日香法」です。飛鳥に暮らす人々の生活の向上も大切にしながら、飛鳥の歴史的風土が今も守られています。

国営飛鳥歴史公園の50年

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本物を産み育む「国営飛鳥歴史公園」

「日本人の心のふるさと」を基本テーマとして、飛鳥の歴史的風土を保存し活用を図っていくのに必要な5つの地区(「高松塚周辺地区」、「石舞台地区」、「甘樫丘地区」、「祝戸地区」、「キトラ古墳周辺地区」の総面積約60ha)を整備しています。各地区の地形・植生・立地条件などを尊重し、フェンスなどの仕切りは設けず、人々の暮らし、歴史的文化遺産、豊かな自然が調和をはかり一体となった国営歴史公園です。

昭和41(1966)年

・「古都法」公布
・明日香村が古都法によって「古都」に指定

「古都法」正式には「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」といいます。「古都(歴史上重要な地位を有する市町村)」において、歴史上意義を有する建造物や遺跡などが、周囲の自然的環境と一体をなしている土地を「歴史的風土」と捉え、その風土環境を守り、後世に残していく措置です。古都は現在全国10市町村を定め、明日香村はその一つで、全てが歴史的風土の保存地区となり、風致区域などに指定されています。

明日香村長 森川 裕一
飛鳥の風景

〈昭和41(1966)年の主な出来事〉
6月 ビートルズ来日
敬老の日・体育の日制定
百円札廃止で百円玉不足・自販機増加
日本テレビ系の演芸番組『笑点』放送開始
国立劇場開場

昭和45(1970)年

・御井敬三氏「声の直訴状」を佐藤首相へ送る
・佐藤首相、閣僚とともに明日香村を視察
・「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策について」閣議決定
・祝戸、石舞台、甘樫丘の3地区が国営公園として整備決定

漢方医の御井氏は、昭和40年初めの頃に初めて飛鳥を訪ね、古からの素朴な風景が残されている飛鳥の地に心を打たれ、移住。その当時、隣接する橿原市の開拓が飛鳥に迫り、美しい風景を残したいとの思いで、飛鳥保存に尽力した一人です。自らの思いをテープに吹き込み、「声の直訴状」として佐藤首相に送られました。その思いが届き、祝戸、石舞台、甘樫丘の3地区が国営公園として整備されることが決まり、さまざまな施策がスタートしました。

佐藤栄作首相視察の様子
佐藤栄作首相視察の様子

〈昭和45(1970)年の主な出来事〉
大阪で万国博覧会
日本をニッポンの呼び名に統一
ビートルズ解散
銀座で歩行者天国

昭和47(1972)年

・高松塚古墳【壁画】発見

村民が生姜の貯蔵穴を掘っていたときに「切石」を発見し、これを手がかりに「高松塚古墳」の発掘調査が始まりました。調査は、当時関西大学助教授であった網干善教氏らが手掛け、調査から3週間、ついに“日本考古学会、戦後最大の発見”といわれた「彩色壁画(西壁女子群像、東壁男子群像、青龍、玄武)」の存在が明らかとなりました。古墳は、7世紀末から8世紀初めに造られた終末期古墳、埋蔵者不明、身分の高い人物と推測されています。

高松塚古墳壁画女子群像の模写(高松塚壁画館にて展示)
高松塚古墳壁画女子群像の模写(高松塚壁画館にて展示)

〈昭和47(1972)年の主な出来事〉
田中角栄内閣発足
沖縄の復帰 沖縄県となる
ミュンヘンオリンピック(西ドイツ)
札幌冬季オリンピック
パンダが初来日

昭和49(1974)年

・祝戸地区開園
祝戸地区 散策園路
祝戸地区 散策園路

〈昭和49(1974)年の主な出来事〉
戦後初のマイナス経済成長
シャルルドゴール国際空港(仏)が開港
長嶋茂雄が現役引退
佐藤栄作がノーベル平和賞受賞
ユリ・ゲラー来日で超能力ブーム
小野田少尉が帰還
モナ・リザ展 日本初開催

昭和51(1976)年

・石舞台地区開園
・高松塚周辺地区が国営公園として整備決定
石舞台古墳
石舞台古墳

〈昭和51(1976)年の主な出来事〉
モントリオールオリンピック(カナダ)
インスブルック冬季オリンピック(オーストリア)
ロッキード事件
バイキング一号火星に軟着陸
南北ベトナム統一

昭和55(1980)年

・「明日香法」公布施行
・甘樫丘地区開園

「明日香法」とは、正式には「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」といいます。古都法の心髄でもある“古き良きものを守る”ことをベースにしながらも、そのためには住民の生活のさらなる向上が不可欠という考え方を基本としています。

甘樫丘からの眺め
甘樫丘からの眺め

〈昭和55(1980)年の主な出来事〉
モスクワオリンピック(ソ連)不参加
レークプラシッド冬季オリンピック(アメリカ)
日本初の衆参同日選挙
イラン・イラク戦争、勃発

昭和58(1983)年

・キトラ古墳「壁画」発見

以前から「古墳の可能性がある」と言われていた場所を調査し、発見された壁画古墳です。石室の盗掘跡穴からファイバースコープを挿入し、まず「玄武」の壁画が確認されました。その後の調査で、天文図や四神なども描かれていることがわかりました。石室内部に塗った漆喰の上に、繊細な筆使いで、方角をつかさどる四神像の全てが現存しており、動物の頭と人間の身体を持った十二支像や天井に描かれた天文図も価値の高い文化財です。

玄武(レプリカ)
玄武(レプリカ)

〈昭和58(1983)年の主な出来事〉
東京ディズニーランドオープン
中国自動車道全面開通
田中角栄元首相に実刑判決
大韓航空機撃墜事件
日本海中部地震、東北に被害
三宅島大噴火

昭和60(1985)年

・高松塚周辺地区開園
高松塚周辺地区
高松塚周辺地区

〈昭和60(1985)年の主な出来事〉
科学万博(筑波)開幕
青函トンネル本坑が貫通
新幹線上野駅開業
桜島南岳大噴火
日航ジャンボ機墜落事故
男女雇用機会均等法、成立

平成6(1994)年

・全面概成開園式典 開催
・「みどりの愛護のつどい」開催

〈平成6(1994)年の主な出来事〉
村山内閣発足
消費税5%に
関西国際空港開港
平安遷都から1200年
リレハンメル冬季オリンピック(ノルウェー)

平成13(2001)年

・「飛鳥地方における歴史的風土および文化財の保存等に関する方策の一環としての都市公園の整備について」閣議決定
・キトラ古墳周辺地区が国営公園として整備決定

〈平成13(2001)年の主な出来事〉
小泉内閣発足
アメリカで同時多発テロ
雅子様女児ご出産
マリナーズのイチロー MVPと新人王受賞

平成16(2004)年

・開園30周年(昭和49年の祝戸地区開園から)

〈平成16(2004)年の主な出来事〉
新潟県中越地方で震度7の地震
米大統領選ブッシュ氏再選
アテネオリンピック(ギリシャ)
EU25か国に拡大

平成18(2006)年

・キトラ古墳周辺地区「基本計画」策定

〈平成18(2006)年の主な出来事〉
中国経済高成長
紀子さま男児出産
トリノ冬季オリンピック(イタリア)

平成28(2016)年

・キトラ古墳周辺地区開園
四神の館
四神の館

〈平成28(2016)年の主な出来事〉
天皇陛下退位の意向示唆
米大統領トランプ氏勝利
イギリスEU離脱決定
リオデジャネイロオリンピック(ブラジル)
地球温暖化パリ協定発効

令和6年(2024年)

・開園50周年(昭和49年の祝戸地区開園から)

〈令和6年(2024年)年の主な出来事〉
石川県で能登半島地震
パリオリンピック(フランス)

国営飛鳥歴史公園の5地区の紹介

美しい棚田の風景が奥飛鳥へ誘う
祝戸地区
いわいどちく

「祝戸地区」は、石舞台地区の南側にある通称ミワ山、フグリ山の一帯と、それに続く山麓の一部に位置します。地区内には、大和三山を背景に広がる飛鳥古京を一望できる展望台、芝生広場、石舞台古墳に続く散策園路などが整備されています。飛鳥川に沿って南にさらに進むと「奥飛鳥(稲渕地区、栢森(かやのもり)地区)」へ。見事な棚田風景が広がり、子孫繁栄と五穀豊穣を祈る「雄綱」「雌綱」の綱掛神事が今も行われています。道は万葉の時を感じさせる「飛鳥川の飛石」、そして吉野と結ぶ古道「芋峠」へと続きます。

祝戸地区の棚田遠景
祝戸地区の棚田遠景
日本最大級の巨大石室が圧巻!
石舞台地区
いしぶたいちく

蘇我馬子の墓とも伝えられる、日本最大級の方墳「石舞台古墳」がある地区。古墳の周囲はなだらかな棚田地形を活かした芝生広場が広がり、桜や万葉植物など季節の花々が迎えてくれます。西側には、多目的休憩所「あすか風舞台」があり、飛鳥を訪れる人の憩いの場として、また、様々な地域イベントにも活用されています。隣接する明日香のおみやげ処「明日香の夢市」では、地元の新鮮な野菜や特産品と出会え、大勢の人が行き交う賑わいある地区です。

石舞台古墳
石舞台古墳
大和国原の美しい風景を望む
甘樫丘地区
あまかしのおかちく

「甘樫丘」は標高148mの小高い丘。7世紀前半には蘇我蝦夷・入鹿父子が邸宅を構えていたと言われています。展望台からは、飛鳥古京(明日香村)の集落をはじめ、藤原京跡や大和三山(橿原市内)、さらに遠くには生駒山や金剛山脈の青垣を望むことができます。地区内には、全長2.3kmの散策路「万葉の植物園路」があり、『万葉集』や『日本書紀』に登場する植物を観賞できます。周辺には、古代史の舞台となった、日本最古の仏教寺院「飛鳥寺」や蘇我入鹿を祀る五輪塔「入鹿首塚」などが点在します。

甘樫丘地区
甘樫丘地区
古代飛鳥人にロマンを感じる
高松塚周辺地区
たかまつづかしゅうへんちく

5地区の中で最も近鉄飛鳥駅から近く(徒歩7分)、飛鳥の玄関口となる地区です。国営飛鳥歴史公園館では、飛鳥の史跡や施設の案内を行っています。公園内には、二段式の円墳「高松塚古墳」と三段構造の八角形墳の「中尾山古墳」があり、高松塚壁画館では、昭和47(1972)年に発見された彩色壁画の模写壁画や復元模型を鑑賞できます。谷の地形を生かした芝生広場、高松塚古墳壁画に描かれている星宿図をモチーフにした星宿広場もあり、園路は段差のない緩やかなスロープで散策におすすめです。

飛鳥歴史公園館
飛鳥歴史公園館
キトラ古墳と古代飛鳥を知る
キトラ古墳周辺地区
きとらこふんしゅうへんちく

北側の「檜隈寺跡休憩案内所」では、渡来人の氏寺であったとされる史跡・檜隈寺跡の展示や公園の楽しみ方をナビゲートしています。南側には、キトラ古墳やキトラ古墳の壁画について楽しく学べる体感型施設「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」があり、古代飛鳥の暮らしのジオラマや、キトラ古墳の壁画の世界を体感できます。体験工房では古代飛鳥にまつわるものづくりを、地区内の五穀の畑やキトラ田んぼでは農業体験もでき、周辺の豊かな自然環境とともに、飛鳥の歴史や文化、風土を味わい尽くせるよう整備されています。

四神の館 4面スクリーン
四神の館 4面スクリーン

国営飛鳥歴史公園のこれから

先人たちが守ってきた豊かな自然と、古墳や遺跡、棚田や集落などの人文的環境が一体となった飛鳥の歴史的風土。この50年間、国営飛鳥歴史公園が地域の方々とともに守り続けてきたものです。世界に誇るべきこの財産を、これからも守り、後世に受け継いでいくこと。国営飛鳥歴史公園の役割はこれからも変わることはありません。
同時に、多くの方々に来園いただき、飛鳥をより楽しんでいただくための取組も引き続き進めていきます。現在、奈良県や明日香村等の周辺自治体では「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の令和8年度の世界文化遺産への登録を目指した取組が進められています。当公園内にも5つの構成資産候補(石舞台古墳、高松塚古墳、中尾山古墳、キトラ古墳、檜隈寺跡)が含まれていることから、今後は海外を含め広域から来園される方が増えていくと考えられ、公園、そして飛鳥の魅力をよりわかりやすく発信することが重要です。目下、飛鳥の玄関口と位置づけられる高松塚周辺地区において、文化庁の古墳壁画展示施設のリニューアルの動きと併せ再整備の検討を進めています。
国営飛鳥歴史公園の新たな50年に向け、来園者のみなさまや地域の方々との交流・協働のもとで、歴史的風土を後世に継承していくための公園づくりを推進していきます。引き続きみなさまにはご協力をよろしくお願いいたします。

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国営武蔵丘陵森林公園も開園50周年!

国営武蔵丘陵森林公園は、令和6年7月23日に開園50周年を迎えます。 国営武蔵丘陵森林公園は明治百年記念事業の一環として、比企郡滑川町と熊谷市にまたがる304haの広大な丘陵地に整備された国営公園です。東京ドーム約65個分の広さを誇る園内には、雑木林を中心に池沼や湿地、草地などの多様な環境を有しており、希少な動植物や四季折々の草花、花畑を楽しむことができます。今年は開園50周年を記念して様々な企画や取り組みが予定されていますので、詳しくは下記公式ホームページをご覧ください。


武蔵丘陵森林公園
武蔵丘陵森林公園
武蔵丘陵森林公園