お知らせ
2026/07/29(水) 祝!「飛鳥・藤原の宮都」世界遺産 特設ページ
おめでとうございます!
令和8年7月26日、第48回ユネスコ世界遺産委員会(韓国・釜山)において、「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産一覧表への記載が正式に決定しました。
国営飛鳥歴史公園は、これまで地域の人々と共に飛鳥地方の歴史的風土(遺跡と周囲の自然環境が一体となった良好な景観)を守ってきました。今回の世界遺産登録にあたり、それらの取組が登録推進の一助となれたことを誇りに感じています。
世界遺産登録を記念して、国営飛鳥歴史公園と世界遺産「飛鳥・藤原の宮都」の関係を紹介すると共に、改めて飛鳥地方の保存の歩みを振り返ります。
「飛鳥・藤原の宮都」とは
「飛鳥・藤原の宮都」は、6世紀末期~8世紀初頭に政治・文化の中心だった飛鳥・藤原の地に残る宮殿・官衙跡、仏教寺院跡、墳墓といった19の構成資産から成る遺跡群です。これらの資産は、東アジアとの交流を図りながら国の基礎をつくり、「日本」が成立していった過程を示しており、「飛鳥」と「藤原」の2つの宮都が築かれた奈良盆地の南部、現在の橿原市・桜井市・明日香村の3市村にまたがって位置します。
構成資産のうち以下の5つの資産が国営飛鳥歴史公園の区域内または隣接地に位置しており、公園の良好な景観の中でこれらの資産を見学することができます。
・石舞台地区:「石舞台古墳」
・高松塚周辺地区:「高松塚古墳」、「中尾山古墳」
・キトラ古墳周辺地区:「キトラ古墳」、「檜隈寺跡」
「飛鳥・藤原の宮都」構成資産の地図
「飛鳥・藤原の宮都」が今に残る理由
「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の多くが位置する明日香村では、村内全域が「明日香法」と呼ばれる法律による厳しい規制がかけられ、日本の原風景とも言われる農村風景と、飛鳥時代の文化的資産が調和した景観が今なお残されています。
飛鳥の日本で唯一無二の景観が守られてきた背景には、これまでの多くの人々の熱い思いと努力が積み重なっています。
飛鳥保存・苦悩と芽生え
昭和40年代はじめ、高度経済成長期の宅地開発が全国的に進む中、飛鳥にも開発の波が押し寄せてきました。しかし、古都の歴史的風土を守るための「古都法」(古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法)により、京都や奈良、鎌倉と同様に明日香村も保存の対象となり、村の一部が歴史的風土保存地区に指定されました。
一方で、当時の飛鳥地域の主要産業である農林業は零細化や後継者不足で苦境に立たされており、さらには古都法による規制を受けてインフラ整備が進まない状況で、住民の間では不満がくすぶっていました。都市化を受け入れるか、飛鳥らしい景観を守るか、開発か保存かに揺れ動くことになりました。こうした状況で、青年グループが「明日香村民会議」を主催するなど、住民が主体的に飛鳥の将来について議論が行われるようになりました。
そして、保存へと舵を切る契機となったのは、昭和45年元旦。飛鳥に魅せられてこの地に移り住んだ漢方医 御井敬三氏の「なんとかこのままの美しい姿で残ってほしい、次の世代に伝えていきたい」という飛鳥への思いをテープに吹き込み、「声の直訴状」として当時の首相 佐藤栄作氏のもとに届けられました。

動きだした飛鳥の保存
大阪で日本万国博覧会が開催されていた昭和45年6月、当時の佐藤栄作首相が明日香村を視察しました。
甘樫丘に立った佐藤首相は、同行した御井氏に握手を求め、声を掛けました。「ありがとう。あなたのおかげで飛鳥に来ることができました。長生きしてください」。
当時の岸下利一村長は「身近に寄せる開発の波にもめげず、明日香村民の皆さんはよくこれまで辛抱し、保存してくれました」と礼を述べたそうです。
そして同年12月、「飛鳥地方における歴史的風土及び文化財の保存等に関する方策について」が閣議決定されました。閣議決定では、保存区域の拡大や、住民の生活に必要な道路・河川・ゴミ処理場・周遊歩道の整備等が盛り込まれました。そのうちの一つとして、祝戸・石舞台・甘樫丘の3地区が「国営飛鳥歴史公園」として整備されることとなりました。
このように国の施策として具体的な取り組みが開始されたのは、住民の声と共に、何よりも御井敬三氏の“声の直訴状”であったと言われています。

明日香村を視察する佐藤首相
広がる保存と住民生活
その後も高松塚古墳壁画の発見をはじめとした重要な遺跡などが次々と発見され、保存区域は拡張をみせました。これは、飛鳥らしい景観を守ることにつながる一方で、住民が暮らしを営む上でその将来に対する大きな不安となりました。つまり、保存地区に指定された土地の現状維持を図るだけでは歴史的風土が十分には守れないため、住民生活の安定もあわせて考える必要がありました。
そして、住民の声とともに、住民生活のさらなる向上を目的とした特別立法制定への要望が高まり、昭和55年に「明日香法」が誕生しました。明日香法には、国による「明日香村歴史的風土保存計画」の策定義務や、村内全域の保存地区への指定が定められました。あわせて、歴史的風土の保存と住民生活の調和を図るための「明日香村整備基本方針」(生活環境・産業基盤整備計画)の策定、村内インフラ施設の整備に対する国の財政的補助、明日香村整備基金の創設なども盛り込まれました。明日香法の制定によって、住民に対する補償が手厚く行われることとなりました。
こうして、これらの立法とともに、飛鳥に暮らす人々のいきいきとした営みのなかで、日本の古都“飛鳥”の歴史的風土が守られています。
「国営飛鳥歴史公園」の誕生と歩み
昭和45年の閣議決定で設置が決まった国営飛鳥歴史公園は、「日本人の心のふるさと」をテーマに、飛鳥の歴史的風土を保存し活用を図っていくのに必要な地域を拠点的に整備しています。
当初、祝戸・石舞台・甘樫丘の3地区だった公園は、昭和47年に“日本考古学会、戦後最大の発見”と言われる「彩色壁画」が高松塚古墳で見つかったことをきっかけに昭和51年に高松塚周辺地区が追加され、さらに平成13年にはキトラ古墳周辺地区が追加されて、現在5地区となっています。
各地区ともそれぞれの歴史的蓄積や地形・植生・立地条件などを考慮し、本物を産み育む飛鳥として周辺の歴史的風土と調和した景観となるよう整備を行っています。

